訃報:お世話になった友人知人の方々へ

訃報:お世話になった友人知人の方々へ

雄水流宗家・神楽面打師、津村繁雄・号「雄水」は、
2019年令和元年5月4日6時45分、
岡山市内病院で逝去いたしましたのでお知らせ申し上げます。

89歳でした。

5月1日からの新元号「令和」を迎え、
3日夕刻には彫り終えた作品のコーティング仕上げ作業を行って完成させていました。

当日、来訪していた娘を玄関まで見送り、夜8時にはベットに入ったといいます。翌日4日の朝、隣のベッドで寝ていた妻が気がついた時には呼吸がなかったようです。死因は、突発の大動脈解離で「苦しむ間もなく行かれたのではないか」という医者の話でした。

随分と昔に用意したエンディングノートがあり、
丁度1ヶ月前から書き始めていたようです。
そこには親族だけで葬儀を行うようにとの指示書があり、
そのように、7日に家族葬で葬儀を執り行いました。

葬儀翌日8日、山陽新聞に5月の大型連休中の訃報がまとめて掲載され公にされました。

少年兵で戦争に行き、岡山大学で妻を見つけ、小学校教員、教頭、校長と教育畑を歩みました。
その後、一宮公民館館長退職をへて、春山流の面打師の弟子になり師範、宗家補佐から自身が宗家となる「雄水流」を起こし活動しました。
2016年には、岡山県三木記念賞を受賞するなど神楽文化に力を注ぐ道を志していました。

晩年に至るまで、小学校の教え子や面打ち関連の方々と深い交流がありました。

残された工房の彫り台の上には、制作途中の面が置かれていました。
おそらくは、煙となって登っていった空の上でも、面を彫っているかもしれません。

合掌

雄水の三木記念賞受賞を祝う会

雄水の三木記念賞受賞を祝う会

今年の暮れは愚図ついた日が続きましたが、クリスマスの12月25日は一転しカラッとした晴天となりました。この日、倉敷のアイビースクエアで雄水の「三木記念賞受賞を祝う会」が行われました。

主催は岡山県備中神楽保存振興会内の「津村雄水、三木記念賞受賞を祝う会」で、約50名ほどの方々が祝いに駆けつけ、雄水との歓談の時を過ごしました。

参加者は、県の中でも伝承的文化にも力を注ぐ議員さんの方々、また雄水の面のお弟子さんや雄水が大学を出て最初に受け持った教え子の面々、また親族や備中神楽保存振興会で共に運営を続けてこられた仲間達でした。

三木記念賞の受賞メダル・同賞状などを会場に展示、雄水が面を打ちはじめて中堅となった頃からのテレビ放送の一コマやお弟子さん達との懐かしい映像のスライドショウがあり、皆さんから花束贈呈や暖かい言葉を頂きました。宴の最中には雄水作の「面」での舞も披露され、そのまま会場に躍り出て吉備団子のふるまいもありました。

締めは、雄水の謝辞でした。受賞後、一時入院するなどしていたため心配していましたが、そんな心配も余所に10分近く今回の受賞の感慨を述べました。印象に残ったのは1979年に国の重要無形民俗文化財に指定されているにもかかわらず、これまでの「三木記念賞の受賞者」に「神楽関係者がまったくいなかった」こと、そして、今年になって二名もの神楽関連で受賞者が出た、という話でした。

神楽どころは多々あれど、岡山の備中神楽はその歴史と伝承の在り方、他所との比較などから特異な民俗芸能として知られています。しかし、岡山の地元での評価がいままであまりなく、やっと「神楽を支えてきた人達」に注がれたということでしょう。

神楽は、舞う人見る人、そして支える人で成り立ち、そして皆で楽しみ豊饒を願うといものです。いわずもがな、今回の会場には余り若い人の姿はありませんでした。この受賞を契機に、若い方々が備中神楽の魅力に気がつき、備中神楽の「根」を深くしていってくれることを心から願うばかりです。

写真撮影:鈴村邦之さん

管理人 津村 カツシ

大国主命(おおくにぬしのみこと)

大国主命(おおくにぬしのみこと)

 

「国譲りの能(くにゆずりののう)」に出てくる神様です。

出雲の国の「主」である大国主命(おおくにぬしのみこと)の所領に経津主命(ふつぬし)と武甕槌之命(たけみかずち)の両神が高天原(たかまがはら)から天降し、「国を譲れ」と交渉にやってきます。
そこで大国主命は長子の事代主命(ことしろぬし)に相談し、国を譲ることになります。
しかし、次男の建御名方命(たけみなかたのみこと)(通称黒鬼)が反対し合戦となってしまうのです。
その戦いは建御名方命が屈することとなり「国譲り」が行われた、という能の神話です。

品のある面相で備中神楽の代表的な面です。

 

 

素戔鳴尊(すさのうのみこと)

素戔鳴尊(すさのうのみこと)

 

「大蛇退治(おろちたいじ)」に出てくる神様です。

別名「八重垣能(やえがきののう)」ともいいいます。
素戔鳴尊(すさのうのみこと)は高天原(たかまがはら)より出雲の国に追放され、その移動途中、足名槌命(あしなづち)・手名槌命(てなづち)という両翁媼に出会います。
その時、八俣(やまた)の大蛇(おろち)に娘を毎年食われる嘆きの話を聞き、大蛇退治を引き受けることとなります。
戦略を考え、闘いに至っては大立ち回りを繰り広げ、ついに成敗を果たします。
その後、ひとり残っていた奇稲田姫(くしいなだひめ)を妻にもらい出雲の国を開く、という能の神話です。

備中神楽の代表的な演目で、素戔鳴尊と大蛇の大立ち回りは一度観れば忘れられない勇壮さがあります。「黒髪」の髭に「金眼」が光り、屈服を知らない荒武者のような表情が印象的です。

 

 

思兼命(おもいかねのみこと)

思兼命(おもいかねのみこと)

 

「天の岩戸開き」に出てくる神様です。

天照大神(あまてらすおおみかみ)が弟である素戔鳴尊(すさのうのみこと)の悪行に怒り岩戸へ隠れ、天地は闇になってしまいます。困った神々は、思兼命(おもいかねのみこと)を中心に相談し、結果「舞」を舞うことに決まります。
岩戸の前で天鈿女命(あめのうずめのみこと)(女神)がこっけいな「舞」を舞ったところ、皆笑いころげることとなり、その楽しげな雰囲気につれられて、天照大神が岩戸の戸をそっと開けてのぞいた所を連れだし、世の中は再び明るくなった、という神話です。

思兼命(おもいかねのみこと)は、智恵の神ともいわれ「白髪」の髭に「金眼」がきらりと光り引き締まりった表情の人気の面です。

 

 

建御名方命(たけみなかたのみこと)

建御名方命(たけみなかたのみこと)

 

「国譲りの能」に出てくる神様です。

出雲の国の「主」である大国主命(おおくにぬしのみこと)の所領に経津主命(ふつぬし)と武甕槌之命(たけみかずちのみこと)の両神が高天原(たかまがはら)から 天降し、「国を譲れ」と交渉にやってきます。そこで大国主命は長子の事代主命(ことしろぬし)に相談し、国を譲ることになります。しかし、次男の建御名方命 (たけみなかたのみこと)(通称黒鬼)が反対し合戦となってしまいます。つまるところその戦いは建御名方命が屈することとなってしまい「国譲り」が行われた、という能のものがたり。

面相が派手で、舞も派手と人気の面です。

 

 

温羅(うら)

温羅(うら)

 

「温羅神楽」に出てくる神様です。

温羅はかつて大和勢力に征圧された吉備の英雄(冠者)の名として呼んでいます。吉備之伝説(きびのでんせつ)「温羅神楽(うらかぐら)」は、備中神楽発生以前からあるといわれる「吉備津能(きびつのう)」を引き継ぐ「能」として近年創作されたものです。

岡山県の吉備の国にあった新山(総社市阿曾)に鬼神と伝わる禍又温羅(かしゃうら)が立てこもって民を悩ましていたといいます。この邪道は極悪の限りがなく、当国主宰の岩山明神は吉備津彦の命(きびつひこのみこと)にこの温羅(うら)の退治を依頼し、激戦の後討ち果たすこととなりました。

温羅は後、吉備津神社の「お釜殿」のカマドの下に埋められていると伝承され、「釜」のその鳴り具合によって吉凶を占うという「鳴釜神事」がいまも継承されています。これは、温羅の「精霊」のお告げということで地元では根付いています。
このことは、「雨月物語」に「吉備の鳴釜」と記されて知られています。

金眼に赤ら顔ですが、何故か親しみを持てる吉備の鬼神の面です。

 

雄水「三木記念賞」受賞、山陽新聞に掲載

雄水「三木記念賞」受賞、山陽新聞に掲載

暑さも盛りの8月13日、山陽新聞朝刊に「三木記念賞」の受賞者発表があった。受賞は神崎宣武(かんざき のりたけ)さん、馬建鋒(まけんぼう)さんとともに津村雄水(つむらゆうすい)も含めて3人と報じられました。雄水は神楽面の面づくりと後進の指導に力を入れていましたが、神崎宣武さんも岡山備中神楽の書籍や実舞い講演などで度々登場される方で、両者の受賞は神楽関係者にとっても大いに励みとなることでしょう。

三木記念賞

三木記念賞は1968年に創設、地域の発展に貢献した個人・団体を顕彰する岡山県の賞。今回が49回目で11人と5団体の推薦から上記の3人に決定されたと記事にあります。

現在までに受賞された方々の中には、著名な彫刻家の平櫛田中や将棋の15世永世名人・大山康晴などが第4回・第11回に名前を連ねていらっしゃいます。文化部門の中には備前焼作家や備前刀刀匠、書家、洋画家、日本画家、木工芸家、彫刻家、陶芸家など多方面の作家が受賞していますが、いままでに「面打ち師」というのは登場していませんでした。

リオのオリンピックが現在開催中で盛り上がっていますが、オリンピックに参加できる種目が増減することは知られています。オリンピックで認定されていない特定の種目の選手は、スポーツの世界の祭典としての競う場を与えられていないともいえます。

実は、「神楽面」など口伝の技術継承を土台になりたつ「面」などは、「審査できる者がいない」という判断で美術的「創作のコンクール」や「作品展」などには「出品できない」あるいは「審査をしてもらえない」という「木彫り創作の作品」でもあったのです。

「評価をしてもらえない社会」の制度の中では「社会的指標」、つまり物差しや判断基準がなく文化の施設の「場」にそもそも登場できないという現実がありました。

今回の受賞で「備中神楽」の周りの人物達が社会的に評価され、2人も同時に受賞できたことは画期的なことと思っています。

まず、「評価される場」に立てるんだという土台を築いた大きな一歩のような気がします。これを機に、今後の民俗芸能の動向に大きな好影響があればいいですね。

管理人 津村 カツシ

備中神楽

岡山県備中地域では、古くから荒神の鎮魂を目的とした神楽・荒神神楽がなされていました。文化・文政(1800年)の頃「西林国橋」が神代神楽を草案、現在の備中神楽へと続いています。

雄水工房

「備中神楽」の舞に使われている面(おもて)の製作工房です。「獅子頭」や「お多福」など面彫刻にまつわる縁起物彫刻も人気です。このサイトにて購入、ご相談を承ります。

雄水流

面打ちの流派・春山流の宗家補佐であった津村雄水が伝統技法に加え、独自の彫刻手法で効率的な制作を導きだし「雄水流」として宗家となりました。

雄水流の弟子達

初伝・中伝・奥伝・皆伝・師範の五段階の免状認定基準を設けています。「皆伝」は、2016年暮れに1名追加され現在21名、「師範」7名が認定されています。

獅子頭の完成を祝う 吉備津彦神社

~獅子舞を吉備津彦神社(岡山市一宮)の新たな新春行事にしようと、地域住民らが準備を進めている。~住民有志の「吉備の中山を守る会」を中心に新しい行事を始めようと発案。~自分たちの獅子頭を、同市下中野の面打師津村雄水さんに依頼して制作。獅子頭は三キロで衣裳をつけると約五キロ。津村さんは「おめでたい正月に披露されるので、華やかで優しい感じに仕上げた」という。~

山陽新聞 2004年12月8日版掲載

神楽面面打師 「備中神楽」繁栄にひと役買うために

~今までに制作した面は400近く。注文を受けての制作も多く、およそ250の面は人の手に渡っている。~教えることで、備中神楽のファンは増え、地域文化は継承されていく。~

岡山県内誌「オセラ」2009年3-4月号掲載